オリンピック出場を決めたアンダー23サッカー日本代表に、市川市出身の選手とスタッフが!

2024.5.27

令和6年度から、市川市サッカー協会での役職が変わり、副会長を仰せつかることになりました。今までは第四種委員会の委員長として、小学生年代の少年少女のサッカーの普及、発展に努めて参りましたが。これからは広く、成人から高校生、中学生、小学生、幼児、女子も含めて、市川市全体のサッカーの普及、発展に力を注ごうと思います。

さて、市川市でサッカーに携わるようになって40年近くが経ちましたが、市川市サッカー協会として、とても嬉しいことがありましたので、皆様にもご報告したいと思います。

U23日本代表が、U23アジア大会を制し、見事にオリンピック出場を決めてくれました。これで日本は8大会連続の出場となります。

U23アジア大会で招集されたのは、選手23名、スタッフ4名の計27名ですが、この中に市川市出身のスタッフ、選手が含まれていますので、ご紹介します。

まず選手としては、背番号5の木村誠二君。(出身校:平田小、市川八中)
彼は、小学生年代はFC平田、市川FC(市川トレセン)に所属し、中学、高学生年代はFC東京に所属。そのままFC東京でJリーガーとなり、現在はJ1サガン鳥栖に期限付きで移籍しています。
今回のオリンピック予選では、長身を生かしてDFとして活躍し、UAE戦では先制点、カタール戦では同点弾を、得意のヘディングで決めてくれました。

次にスタッフとして大岩監督の下、コーチとして活躍している羽田憲司君。(出身校:塩焼小、妙典中)
彼は、小学生年代は塩焼FC(現在の南市川JFC)、市川FC(市川トレセン)に所属し、妙典中から市立船橋高校に進学。市立船橋では全国制覇を果たし、卒業後に鹿島アントラーズでJリーガーになりました。
鹿島アントラーズ時代はU20日本代表のキャプテンを務めるなど、将来を嘱望されましたが、怪我に悩まされました。
その後はセレッソ大阪、ヴィッセル神戸でもプレーし、2012年に引退。引退後はJリーグのコーチとして活躍し、現在はナショナルコーチとして大岩監督の下、U23日本代表のコーチをしています。
オリンピックを賭けた戦いはとてつもない重圧があるのでしょう。出場が決まった瞬間に大岩監督と熱く抱き合っているのがとても印象的でした。

オリンピック出場を決めたチームの選手とコーチに市川FC(市川トレセン)の卒業生がいること。関係者として誇りに思いますし、単純に凄いことだと思います。
市川FC(市川トレセン)は、市川市の小学生年代の選抜チームですが、現在の形で活動するようになってから約40年が過ぎました。羽田君と木村君の年齢差は約20年。長く続けているとこういうこともあるんだなあと、感慨深いものがあります。

オリンピックはオーバーエイジが適用できメンバーの入れ替えがあるため、どうなるかはわかりませんが。羽田君と木村君、二人揃ってオリンピック出場となることを強く願っています!

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